クイーンは何故ライブ・エイドで圧倒的な支持を集めたのか

映画「ボヘミアン・ラプソディ」の中で、フレディ・マーキュリーはライブ・エイドのリハーサル中、自分がAIDSに侵されていることをメンバーに告白する。
ラストのライブシーンが観客の胸を打つのは、クイーンのメンバーがフレディの死を覚悟しながらパフォーマンスを繰り広げる姿に感動するからだが、史実は少し異なる。

ブライアン・メイもインタビューで認めているように映画はドキュメンタリーではないため、ストーリーに合わせて時系列の入れ替えが行われている。実際にはフレディのAIDSが発覚するのはライブ・エイドの数年後だし、会場に居合わせた観客も当然その事は知らない。
その他にも随所に時系列の入れ替えが行われて混乱してきたため、1984年からのクイーンを取り巻く話題を時系列に整理してみた。

1984年
1月 RADIO GA GA
2月 The Works
?月 Strange Frontier(ロジャー)
9月 Love Kills(フレディ)
12月 Band Aid "Do They Know It's Christmas?"
1985年
1月 Rock In Rio出場
3月 USA for Africa "We Are The World"
4月 I Was Born To Love You /Mr. Bad Guy(フレディ)
5月 日本公演
7月 Live Aid出演

ライブ・エイド前のクイーンを取り巻く状況


The Works、RADIO GA GA

映画では触れていないが、クイーンがセールス的に一番危機だったのは1982年のHot Space発売以後からだろう。このアルバムの失敗によりクイーンは急速に過去のバンドとして存在感を失っていき、RADIO GA GAのヒットでセールス的には表舞台に返り咲いたように見える。
ただ枚数だけで見るとThe Gameが900万枚、Hot Spaceが300万枚、ワークスが450万枚なのでそれでもザゲームの半分だ。

個人的にはクイーンが初めて守りに入ったアルバムと感じており、これ以降の新譜を聴いていない。ホットスペースはある意味クイーンらしい挑戦的なアルバムだが、ワークスは過去の再生産というか、歌詞で歌っているRADIOがクイーン自身の事にしか聞こえず「まだ君を愛してる人はいるさ」という歌詞が物悲しかった。

バンド・エイド不参加

Band Aidプロジェクトはライブ・エイドの前身であり、アメリカに影響を与えWe Are The Worldの大ヒットを生むきっかけになったが、シングル"Do They Know It's Christmas?"にクイーンは参加していなかった。代わりに目立っていたのはU2のボノ、Wham!のジョージ・マイケル、Duran Duranのサイモン・ルボン、Culture Clubのボーイ・ジョージなどの新興勢力で、この世界的なブームに乗れなかったクイーンは世代交代の波をもろに被った形になってしまった。

クイーン解散説

いつからかは覚えていないが、既にこの頃から日本の雑誌メディア(ロッキン・オン)はクイーン解散説をしつこく報道していたように思う。海外メディアの翻訳なのか当時はわからなかったが。

フレディのソロアルバム

映画ではまるでフレディが抜けがけの裏切り者のように描かれているが、実際にソロ活動を始めたのはブライアン、ロジャーの方がはるかに早い。それでもフレディがソロアルバムを出すにあたっては映画のようなゴタゴタがあったんだろう。

最後の日本公演

ライブエイドの2ヶ月前。解散説もあったし行こうと思えば行けたんだけど、何となく気が乗らなかった。まさか別の意味で最後になるとは思いもよらなかった。

この辺の事情はこの記事が一番しっくりくる。2015年の記事なので映画のバイアスもかかってない。
クイーン最後の来日公演は解散寸前のライブだった!

なぜライブエイドで圧倒的な支持を集めたのか


ライブエイドというイベントは当然クイーンのためのイベントではないし、ヘッドライナーでもない。wikipedia には最多の6曲を演奏と書いてあるだけで、あたかも主役扱いのように読めるが、「持ち時間20分の中に出場最多の6曲を詰め込み」とするとニュアンスが変わってくる。あれだけ多くのミュージシャンを集めたイベントで特別扱いは考えにくいし、ツェッペリンだって20分やっている。

日本時間では深夜から朝方にかけて、フジテレビが独占中継した。先輩の家に数人で集まり飲みながらずっと見ていたが、少なくとも仲間内での最大の目玉はLed Zeppelinの再結成だった。

イベントそのものはトラブルも多く、特に中継アナウンサー逸見政孝、中井美穂のロック無知は明らかで、ミュージシャンの名前は間違えるわ、リスペクトの欠片もない暴言はきまくりで、そのたびに皆でテレビに罵声を浴びせていた。
挙句の果てに演奏途中でCMを入れる始末。あの夜だけで「フジは二度と音楽番組に関わるな」と10万人は思ったはずだ。

ミュージシャンも、中にはロクに練習せず酷い演奏をさらしたり(Led Zeppelin)、一生汚点となるようなトラウマを残したり(レッド・ツェッペリン)、後年発売されたDVDへの映像収録を拒否したり(ノッポさん)、お祭り気分が目についた。

そんな中、クイーンが専用のセットリストを作りこみ、入念なリハーサルをして臨んだのは事実だし、このイベントにかける気合は相当なものだったろう。ただその動機はフレディの病気ではない。イベントを利用して閉塞的な状況を打破しようとしていたのだろうか。

ライブエイドの演奏がクイーン史上屈指のパフォーマンスとなった理由


確かにライブエイドにおけるクイーンのパフォーマンスは圧巻としか言いようがない素晴らしいものだ。ただクイーンのライブ史上屈指の出来でもある理由はなんだろうか。

いつかは覚えていないが、ロッキン・オンに掲載されたフレディのインタビューでライブエイドを振り返っているものがあった。

手元にないので記憶だけで書くと「今でも20代と同じパフォーマンスが出来る自信はある。ただ今の年齢だと入念な準備が必要だ」みたいなことを言っていたのが印象的だった。つまりはコンディション次第ということ。

フレディの喉の問題

クイーンのライブ音源や映像といえば、一番気になるのはフレディのフェイク唱法。高音部になるとメロディを変えて、時にはオクターブ下で歌ったりするが、かなり興ざめというか脳内補完が必要だ。

ただライブエイドでは、フレディはほぼフェイクを使わずレコード以上のフルスロットル唱法を聴かせる。出来るならいつもやってくれよと突っ込みたくなるが、普段はやりたくても出来なかったのだろう。

フレディはボーカリストとしては比較的喉が弱く、連日のツアーで3時間のライブをフルパワーで歌っていたら喉が持たない。ライブエイドにおけるバンドの演奏はタイトだが、このバンドの演奏は割りと安定してタイト。一番違うのはフレディの声だ。

つまり、ライブエイドの演奏が名演となった一番の理由は
・前後にツアーのない単独イベントでリハーサル時間も充分に取れたこと
・わずか20分のステージのため後を気にすることなく全力のパフォーマンスが出来たこと

おそらく真相はこれだけだ。それでも色々な奇跡が重なって、ライブ・エイドがクイーン伝説のハイライトであるのは、映画が伝えている通りだと思う。


Queen/Rock Montreal & Live Aid: 伝説の証
2020/02/15 0
#Queen
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